古代遺跡と大自然が生んだ

 不思議な風景

 アナトリアでは、古代より

 多くの民族、文明が栄え、

 そして、ビザンチン帝国が

 滅び、中東の大部分を占め

 るオスマン帝国が登場

 アジアとヨーロッパが 

 出会う土地に、イスラム   文化が融合

 飛んでイスタンブールは

 エキゾチックな都市

 広大なトルコは、見所

 が全土に広がる



トルコの歴史


アナトリアには旧石器時代(1万1000年から60万年前)からの遺跡が存在する。紀元前2000年末頃から鉄をつくる技術が中近東世界に広がった。この地域が鉄器時代に入ったと考えられる[2]。
トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブールは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・東ローマ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。
一方、北アジアではトルコ(テュルク)系民族として突厥が552年にモンゴル系民族の支配から独立した。現在のトルコ共和国ではこれを以てトルコの最初の建国とみなしている。その後、東西に分裂し、中央アジアのアラル海東岸に割拠した西突厥の部族の一つから部族長トゥグリル・ベグが出て西進を始めボハラ地方を部族で占領しセルジューク朝を成立させた。さらに西進して1055年バクダッドに入城、アッバース朝のカリフよりスルタンに指名された。事実上アッバース朝に変わってセルジューク朝がメソポタミアの支配者となる。しかし東アジアで覇権争いに敗れた契丹系の西遼が中央アジアに移動し、父祖の土地を占領すると、これと争って大敗し急激に衰えた、後にフラグの侵攻を受けて滅亡する。また中央アジアのトルコ系部族集団は、更にウイグル系民族に圧迫されてイラン(ペルシャ)北部、カスピ海東岸の隅地に逃亡し歴史の記録から消える。
11世紀に、トルコ系のイスラム王朝、セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族と対立・混交しつつ次第に定着していった。これら群小トルコ系君侯国はチンギスハーンの孫フラグのバグダッド占領、イルハーン帝国成立後もアナトリア西端に割拠して生き残り、その一つから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブールを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。モンゴル系のティムールにアンゴラ(アンカラ)の戦いで敗れ一時滅亡するが、アナトリア南部の険に依って抵抗し命脈を保った一族が、ティムールの死後オスマン朝を復興した。
19世紀、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地ではナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立した。帝国はオスマン債務管理局を通して列強に財政主権を握られ、第一次世界大戦で敗北した。こうしてオスマン帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下におかれ完全に解体された。中でもギリシャは、自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻した。また、東部では、アルメニア国家が建設されようとしていた。これらに対してトルコ人たち(旧帝国軍人や旧勢力、進歩派の人たち)は国土・国民の安全と独立を訴えて武装抵抗運動を起こした。この抵抗運動をトルコ独立戦争(1919年5月)という。1920年4月アンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)の下に結集して戦い、1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権はローザンヌ条約を締結して共和制を宣言した。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。シャリーアは国法としての地位を喪失した。トルコは大陸法だけでなく、アメリカ合衆国などからの直接投資も受け入れることになった。
第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年NATOに、また1961年OECDに加盟した。NATOとOECD加盟の間は西陣営内で経済戦争が起こっていた(セカンダリー・バンキング)。1956年ごろ、トルコはユーロバンクの資金調達先となったので外貨準備を著しく減らした。これを輸出で補うため単位作付面積あたりの綿花収穫量を急速に伸ばしたが、ソ連がすでに1944年から輸出量を世界で最も急ピッチに増産していた。1952年に暴落した価格で南米諸国とも競争するトルコは、機関化する1980年代まで外貨準備を十分に確保することができなかった。
国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化に邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止、経済市場の開放と機関化)。その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが障害となっている。
またキリスト教(正教会)を国教とするアルメニア共和国とも緊張した関係が続いている。アルメニアの民族派はトルコ東南部を西アルメニアだと主張して返還を求めている。ナブッコ・パイプラインの拡張にかかわる国際問題となっている。