文化を知る ヨルダン ヨルダン地域情報
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古代 ・・・ 50万年以上の太古の昔から既にヨルダン川の流域には、人類が住んでいた。紀元前1万年の頃には、ヨルダン渓谷では農業を営み定住生活をしていた。そして、紀元前10世紀頃になると、ヨルダン南部には、ナバタイ人、中部にモアブ人、マダバには、アモリ人、アンマン周辺には、アモン人がそれぞれに都市を形成していった。紀元前4世紀になると、ナバタイ人が南部に王国を築きその都をペトラに定め、その地域を通るキャラバン隊から多くの利益を得ていたが、マケドニアから出たセレウコス朝の襲撃や、紀元前4世紀には、アレキサンダー大王の支配を受けるようになる。ギリシア系王朝の支配の後は、ローマの進入を受け、ペトラも2世紀に入るとローマにより滅ぼされ、ペトラの町の一部もローマによって作りかえられえしまった。ペトラの町は、ローマの支配後は大地震の被害などにより次第に荒廃し、人が住まなくなり、随分長い間人々から忘れられた存在となってしまう。ローマ帝国は、3世紀から4世紀にわたり、ヨルダン全土をその支配下におさめたが、その後のビザンチン帝国の台頭のより、次第に勢力を失って行く。ビザンチン帝国は、キリスト教支配を推し進めたが、それもやがてイスラムの進入によりストップさせられてしまうこととなる。

イスラムの進入 ・・・ 7世紀に入ると、アラビア半島からイスラム教徒のアラブ人が進入して来る。そして、シリアのダマスカスにウマイヤ朝が開かれると、ヨルダンはイスラムの国となる。11世紀になると、今度は西ヨーロッパからの十字軍の進入が始まり、約100年間に及ぶイスラム軍と十字軍との戦いが繰り広げられる。16世紀に入ると今度は、トルコ帝国がその勢力を広げ、ヨルダンもトルコ帝国の一部に組み込まれて行く。

ヨルダン誕生 ・・・  20世紀に入り、メッカの太守アル・シャリーフが、オスマントルコの支配に反旗をひるがえした。そして、第1次世界大戦中・1916年のサイクス・ピコ協定(イギリスとフランスとの間の協定)により、イギリスの委任統治領、トランス・ヨルダンが誕生する。やがて、1946年、イギリスから独立し、ヨルダン・ハシミテ王国が誕生する。しかし、1951年アブドゥッラー国王が暗殺されると王国の存続が危ぶまれるが、孫のフセインが、18才で即位し、ヨルダン・ハシミテ王国の存続を確固たるものとする。中東戦争、パレスチナ問題など、数々の問題を抱えながらも中東諸国の中では、比較的平和で政治的にも安定したヨルダン王国を築いてきたフセイン国王も1999年には亡くなり、現在は、アブドゥッラー二世国王が、その後を引き継いでいる。